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日記の効用 [雑記]

数年前に、仕事で関係しているある会の会報に投稿した文章です。
このブログ、すっかりご無沙汰でしたがある友人にこのブログに載せている文章を紹介したので、あまり放置するのもどうかと思って、久々に更新しました。

日記の効用
記憶力に自信がある方ではないが、それでも人間の記憶力とは大したものだと思う。
日記をつけ始めてもうすぐ10年になる。ブラインドタッチの練習にと始めたもので、キーボードで打っている。現在はシンプルにテキストファイルで打って、それをクラウド(Evernote)に上げている。こうしておくと手持ちのどのデバイスからも見ることができてしかも検索可能である。
たまに以前の日記を読み返してみると、その日が特別な日ではなくても日記に書かれた出来事、内容でその時の光景、感情がディテールまで含めてありありと思い出されることが多い。旅行など特別なイベントがあった時は、その内容が詳細に記載されていればいるほど、写真などでは残しきれない空気感も含めて鮮やかに光景が蘇ってくる。われわれの記憶の海は実は膨大なもので、何か手がかりさえあればそれを引き出すことができるのだと実感する。

 近年のリアルに思い出される光景と感情といえば、やはり5年前の東日本大震災だろう。5年経って記憶の風化が言われている。われわれも当事者の一員でありながら日々現実の忙しさに取り紛れて節目節目で振り返ってはみるものの、その時自分が何を見てどう考えていたかという記憶は次第におぼろげになってきている。
そんな時当時の日記を読み返してみる。そこには、信じられない光景を目の当たりにし、それまで想像もしなかった状況に追い込まれ、ギリギリの決断を迫られている自分がいる。あの時は少なからぬ同僚が福島を去った。自分は福島にとどまり妻子を避難させた同僚はもっと多かった。彼らの迅速な決断と行動には賞賛にも似た気持ちをもったが、それでも家族も含めて福島にとどまると決断するまでの過程が書かれている日記を読み返すと、その時の自分の考えの変遷をリアルに追体験できる。
 当時痛感したのは、それまで自分がいかに「どうでもいいもの」にとらわれていたかということだ。
「いままで、ライフハックだの自己啓発など、言ってみればちょっとヒトより効率的に人生を歩もうとする小細工的なものに関心があったが、震災以降全くそういう関心が消失している。圧倒的に巨大な力の前ではそれらはホント、何ほどのモノではないからだ。
そういう事態に遭遇することはないだろうと無意識に思っていたのかもしれないが、実はそういうことが起こりえるのが人生なのだと最近は思う。その時本当に守りたい、大事にしたいと思えることが、自分の人生にとって死活的に重要なことであって、それ以外は実はどうでもいいことなのだ。」
「よく大病をした人や九死に一生を得た人などが、がらっと人生観が変わるというが、そういう人たちは人生の実存に触れたのではないか。いつもはオブラートに包まれている人生の、隠された実相のザラッとした手触り。今回の震災および現在進行形の原発事故をとおして、たしかにこの手触りを感じたような気がした。そしてその感覚はまだ生々しく残っている。
内田樹によれば村上春樹作品のテーマのひとつは、理不尽で意味のない暴力にさらされる個人の生き方だが、今回の震災でも、圧倒的な力でもって蹂躙される個人の運命の儚さに慄然とした。家を建てて、子どもを育てて、海外旅行ぐらいは行こう、なんとなく自分も平均寿命ぐらいまではいくんじゃないかと思いながら、小さな夢をおって過ごす毎日。そういう日々から、突然、震災とりわけここでは日々の放射能の恐怖にさらされる毎日に変わってしまった。」
震災原発事故から少し経った頃はこんなことを考えて書いていた。読み返すとその時の自分の感情と周囲の空気感を鮮明に思い出す。状況やそれを取り巻く空気感というものは言葉では完全には伝えきれないものだが、自分の言葉でなければ伝わらない空気感もあるだろう。5年経ってまた「どうでもいいもの」にとらわれ始めてきた現在の自分に対する、過去の自分からの箴言のようなものだ。

 最後にもう一つ当時出会って心打たれた言葉を紹介したい。
「Do not dwell in the past,
Do not dream of the future,
Concentrate the mind on the present moment.
(過去にとらわれるな、未来を夢見るな、いまこの瞬間に意識を集中しろ)」
震災原発事故直後の不安定な時期に出会った言葉だ。未来への漠然とした不安にとらわれて目の前のことに集中できない時、いまこの瞬間に意識を集中していまこの瞬間を十全に生きることを勧める言葉だ。当時の不安定な状況の時自分を支えてくれたし、それ以降も座右の銘になっている。
実はこの言葉、詳しい出典こそ調べきれていないが英語圏ではブッダの言葉として知られている。2500年の年月をくぐり抜けてきた言葉のもつちからはやはり伊達ではない。

 日記をつける効用について、東日本大震災を例にとり過去の光景、感情、思考をリアルに思い起こさせるという観点から書いてみた。最近のIT技術(特にクラウド)の進歩により、日記を書き続けそれを活用するハードルはかなり低くなっている。これらの技術を活用して日記を書くことをお勧めしたい。
タグ:雑文 日記
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