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早さと速さ [日々是思考]

(職場の年報にかいた随想です)

少し前に痛い経験をしてしまった。通い慣れた道をクルマで運転していたのだが、ちょっと焦る状況に遭遇してクルマの左側を電柱にぶつけて凹ませてしまったのだ。たんなる自損事故で済んでクルマの凹みも直したが、自損もふくめてこの種の事故はしばらく経験していなかったので自分の気持ちもちょっと凹んでしまった。
そこで思い出したのが、以前に読んだサッカーの遠藤保仁選手の記事だ。遠藤保仁選手、日本を代表するミッドフィルダーで日本代表として149試合に出場。43歳の現在もジュビロ磐田の現役選手だ。伝説のオシム監督からは「その知性はチームに大きなプラスアルファをもたらす。彼がいれば監督は必要ない」とまで評された名選手。その遠藤選手、ドイツ製の超高級SUV車に乗っているのだが、とにかくマイペース運転。メーターは30キロと40キロの間ととにかくゆっくり走る。住んでいる地元では、渋滞の先頭車両がこの超高級SUV車であることもよくあり、遠藤選手の愛称にちなんで「ヤット渋滞」と呼ばれているそうだ。彼の考えは「急いでも仕方ない」というもの。運転する意味は、目的地に遅れずに確実に到着すること。30キロで走っても早く出発すれば遅れることはない。遠藤選手、ほとんど遅刻はしないそうだ。
彼のサッカーのプレースタイルもまさに同じ。決して足は速くないが早めの予測と動き出しで、ベストの場所に飛び出し正確なパスを味方に送る。正確な技術で無駄を省き、一歩早いスタートを切ることで目的を達成する「速さ」よりも「早さ」を重視するサッカー哲学だ。

遠藤選手の哲学は、我々の仕事でも活かせることが多いのではないだろうか。ある事態(たとえば患者急変など)に遭遇しそれに対処するには、スピーディーに手際よく必要な処置を的確に実施することはもちろん大事なことだが、それ以上にその事態の発生を事前に予測し少しでも早く事態の変化に気づき対処することのほうが重要だろう。デキる看護師(皆様方のことです)が、患者さんのいつもとちょっと違うわずかなサインに「早く」気づき、それをこちらに伝えていただいたことで、その後の病態の変化に的確に対処できたことが何度もあった(感謝してます)。
手技や処置の「速さ」を向上させるにはとにかく練度を上げる繰り返しの訓練が重要だと思うが、「早さ」のスキルを上げるには細やかな観察力と未来を予測する思考力が重要だ。病院内での一人ひとりの仕事内容はもちろん異なるが、自分の仕事のなかの「早さ」を意識してみるといろいろ気づくことがあるだろう。

さて、最近はわたくしも遠藤流にのんびりと運転するようになってきた。結局到着する時間は以前と大差ないし、なにより焦って運転することが少なくなり心の余裕がでてきた。渋滞の先頭にはならないようにしているが、皆様方にはわたくしの車を見かけても必要以上に車間距離を狭くしないようにお願いします。


タグ:エッセイ
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田島正樹先生のコラム [日々是思考]

最近ツイッターで以下のようにつぶやきました。
「田島正樹先生のコラム(水村美苗氏の洞察 http://feedly.com/e/nKkhI9Js )。若い時の自分に読ませたい内容だな。今更遅いか!?」

その田島先生のコラムによると
「女は何よりまず、男が「女は何をのぞんでいるか」という問いを問うてくれるのをのぞんでいる」(
by水村美苗)だそうです。
続けて「ここで男は常に読み間違える。金であれ、セックスであれ、結婚であれ、これこそ女が求めているものだと性急に決めつけるあまり、この問いを忘れてしまう。だからこそ、家では何も考えず安心できる場を得ようとするのだ。しかしそれこそ、女が決して望まないことなのである。結婚したからといって、家を買ったからといって、男に安心して欲しくはないのだ。」
「この問いそのものを忘却することは決して許されない。それは、愛そのものの不在を意味するだろう。なぜなら、「『女は何を望んでいるのか』を問おうとすることこそ、女を愛すること」だからである。」

いや、ほんとに若い頃の自分に(今も?)にきかせてやりたいですね。そうすれば、もう少し人生かわってたかな?

あけましておめでとうございます [日々是思考]

あけまして おめでとう ございます。

震災・津波・原発事故で明け暮れた2011年がやっと終わって新年。
心機一転と行きたいところだけど、原発がらみではまだこれからが本番という感じだね。
いろいろ山岳部関係の方から年賀状頂きましたが、一番ぐっときた年賀状を(勝手に)紹介してみる。例によって、K野先生の年賀状。

『病院は被災で半壊。放射能汚染された吾妻、安達太良、阿武隈の山々ですが、さらに愛着がまし時間のあいている時は山に足を運びました。10月には52才の今年、こつこつと身体と気力の現状維持をめざします。』

これからも福島で生きて、福島の山を愛していく覚悟を感じましたね。

人生は多分自分で考えている以上に短く感じるもの。今回の震災・原発事故、それに身近な年下の知人たちが病魔に冒された昨年には、明日、いや今日何が起こるかわからないことを実感した日々。震災・原発事故以降、生き方・考え方を変えよう、変えざるを得ないと思っていたが、具体的な考えはまとまっていなかった。
新年にあたり少し考えをまとめてみた。

1.自分の頭で考える。権威をむやみにありがたがらない。
2.いまこの瞬間を味わい尽くして生きる。完全燃焼で。
3.つねに山登りをしているがごとく、緊張感を持っていきる。

箇条書きで思いつくまま書いてみた。
まずは、放射能とどう向き合うか自分で判断し決断しなければならない。子供が小さければこれは切実。それ以外にも、惰性で流されるようにやってきたことが、本当に自分の貴重な人生の時間を費やしてまでやる必要があるか吟味すること。

2は、いまこの瞬間を生きると言うこと。
Do not dwell in the past,
Do not dream of the future,
Concentrate the mind on the present moment.
(過去にとらわれるな、未来を夢見るな、現在の、この瞬間に集中しろ)

これは誰の言葉(教え)でしょう?
実は、ブッダ。
今を生きると言うのは簡単だけど、どうしても人間は過去と未来にとらわれるもの。
過ぎた過去を後悔し、まだ来ぬ未来の心配をする。過去と未来に脳内のメモリを占拠されれば、現在を味わい尽くして生きるのは不可能だ。そこで
Concentrate the mind on the present moment.
なかなか難しいけど、この瞬間に完全燃焼するように生きることが、この不確実な日々を十全に生きる上で重要だと思う。

結局、3の様に山登りをしているがごとく生きるってことかな。
辛い登りでも、晴れた気持ちのいい稜線でも気を抜くことはないし、その時その時を味わって登っているからね。

厳しく予想もしなかった時代に、山登りの経験が生きるというのも嬉しくもあり、辛くもあるけれど、覚悟を持って歩んでいこうと思ったところです。

今年もよろしくお願いします。
タグ:雑感 山岳部

認識のチカラ [日々是思考]

いつも何かを考えているので、そういう時に突然子どもから話しかけられても気づかず黙っていることがある。これがツレアイにはわからないらしく、こういう状況になるといつも「子どもの話を無視した」と怒られる。無視しているのではないのだが。
他のヒトとは違うのかなとも思うが、人形片手に一人遊びに夢中の上の娘にはコッチの気持ちがわかってくれるかなとも少し期待する。

最近いつも考えているのは認識について。我々が認識している世界像は、脳が感覚器からの情報を統合・編集した世界像。たとえば、ある波長の可視光線を赤と認識しているようなもの。その波長と赤はもともと全く関係ないが、我々の脳内でその波長が「赤」として認識されるだけのこと。じゃあ、我々が素直に認識しているこの世界は、この世界の実相(物自体)とは全く関係ないのか?ここまでくるとカントの認識論そのものですよね。カントは、物の認識には時間と空間という概念も必要ないのでは?、そういう概念は我々が物事を認識するために便宜的に考え出した概念では?と考えた人。ジツは、こういう考え方は現代物理学の最先端の考え方に通じるそうです。今ではカントが見抜いたように、特別に空間という概念を導入しなくてもこの宇宙の事象を記述可能だそうです。
情報を整理・統合・編集するのも我々の脳。そうやって編集されて提出された世界像を受け入れ認識するのも我々の脳という不思議。
たとえば量子論の提出する一見不可思議な世界像を実感として腑に落ちる様に脳が認識できて、原子・素粒子レベルでの万物流転を実感し、色即是空(一切の形あるものが、そのままでありながら、なにもない)・空即是色(なにもないことが、そのまま、形あるものを現出している)を脳が認識できるとしたら、その脳の持ち主(脳自体?)は、ブッダ(悟りをひらいたもの)なのかな?と、時々夢想してます。

世の中にはアタマのいい人は多いけど(たとえば内田樹先生とか)、あと何回ぐらい生まれ変わればあのレベルまでいけるかな、とちょっと思うこのごろ。

秋は、思索の秋でもあるよね。


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