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電子カルテとブルシット・ジョブ [エッセイ]

(関係する団体の会報に載せた文章です)

近代マクロ経済学の父であるジョン・メイナード・ケインズは、およそ100年前の講演(「孫の世代の経済的可能性」、1930年)でこう予言したそうである。「100年後、一日に3時間働けば十分に生きていける社会がやってくるだろう」と。この予言は大外れしたと思われるが、はたしてそうだろうか?ケインズの時代に主流であった仕事とは社会を営んでいくためのエッセンシャルワークだが、それらは機械化・省力化されたことで現代では3時間程度の労働で済みそうであり、この意味ではケインズの予言は正しかったともいえる。現代では、最低限社会をまわしていく仕事以上に、より高度化・情報化した仕事が主流になっているので予言が外れたと解釈できるわけだ。
 この解釈に異を唱えたのが、ケインズと同じイギリス人のデヴィッド・グレーバーである。彼の著書、「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」では、本当に必要なエッセンシャルワーク以外に、ブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)が現代では蔓延していると主張している。その中でブルシット・ジョブとは、「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態である。とはいえ、その雇用条件の一環として、本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている」と定義されている。具体的には、1)意味の不在: 従事者が仕事の中で自身の活動がなぜ存在しているのか理解できない状態。業務の目的が曖昧で、貢献度が感じられない。2)効率性の欠如: 仕事が効率的に遂行されず、無駄な時間やリソースが浪費されている。それにもかかわらず、組織はその仕事を維持し続ける。3)自己成就感の不足: 仕事を通じて達成感や充足感を感じることが難しい。従事者が自分の仕事に誇りを持てない。4)社会的価値の低さ: その仕事が社会全体にとって本当に有益でない場合、などとされている。もっと具体的にいうと、意味の乏しい会議やそのために行う大量の資料作り、誰にも見られることのない書類を黙々と作成する事務、誰かに偉そうな気分を味わわせるためだけに存在している仕事などが挙げられている。イギリスで行われたアンケートでは、実に4割の人達が自分の仕事はブルシット・ジョブであると回答したという。

 さて、電子カルテである。当院でも導入されて10年が経とうとしている。紙カルテ時代は、患者の検査データ(当然紙に印字)をカルテに糊で貼ることも当院では医師の仕事であった。当然手書きでありカルテの記載が5行以上であることは滅多になく、あまりの達筆さに他者から(ときには自分自身でさえも)判読できないカルテであることも珍しくなかった。
 電子カルテになってもちろんこれらは解消されたわけだが、カルテの電子化によって雑務の時間が減って我々にとってのエッセンシャルワークである患者さんと接する(診察、検査、じっくり話をきくなど)時間が期待どおりに増えたのだろうか?増えたと言う方もおられるだろうが、私も含めて大方のところはそれほどでもないと思っているのではないだろうか。電子カルテ時代になって、以前の紙カルテ時代には求められていなかった書類などが大幅にふえているのだ。たとえば、以前であれば褥瘡のある患者さんを褥瘡担当ナースにみてもらうときには一言電話で頼めばそれですんだが、今では「褥瘡依頼書」なる書類を電子カルテ上でかかなければならない。患者家族にICしたときも、以前なら内容のキーワードとイラストを記したメモ程度を渡せばそれで済んだが今は文章を電子カルテ上でA41枚程度書いてそれを印字して渡さなければならない。終末期で無理な延命治療は行いませんというDNARの承諾も前は阿吽の呼吸でとれてそれをカルテに一行書けばそれですんだが、今は当院では「DNAR確認書」なる書類を書くことになっている。検査、治療にはどんな細かいものでも当然いちいち同意書が必要で、印字すると毎回誰が全部読むのだろうというくらいの量の文章がつまった書類が出てくる。
 紙カルテ時代には煩雑すぎて誰もやろうとは思わなかったことが、電子カルテではひと手間かけることでわりと簡単に実現してしまうのだ。一つ一つのタスクはそれほど手間がかからなくとも、あれもこれもとなると、結局は膨大なものになり、いつの間にか日々結構な時間をかけてそれらの文章作成に格闘する羽目になるのである。
 それらが全部上述したブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)とは思わないし、ひとつひとつは十分意義のあることだろうとは思う。しかし結果としてやっていることは、一瞥されるだけでおそらく二度と誰にも読まれないであろう書類を少なからぬ手間と時間をかけて大量に作成していることであり、そのことについての上記の効率性の欠如感や自己成就の不足感は半端ない。

 電子カルテの利便性になれるともう紙カルテには戻れない。働き方改革、医師の労働時間の短縮にも電子カルテは欠かせないツールだと思う。そうであるならなおさら、電子カルテにあれもこれもすべて詰め込むのではなく、もっと効率化をはかることが必要だと思う。
 結局、働き方改革とは日々の仕事の中から、いかにブルシット・ジョブ的なものを撲滅していくか、ブルシット・ジョブを生み出してしまう発想を変えていくことだと思うのだが、皆様のお考えはどうだろうか?

(参考文献)

1. デヴィッド・グレーバー 「ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論」岩波書店 2020/07

2. 酒井 隆史 「ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか」講談社 2021/12


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