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同級会 [雑記]

前回のブログ更新からいろいろありました (^_^;A
2年ぶりの連休鳥海山(結局悪天候で断念)とか、久々の山岳部新歓への参加とか。
気が向いたらおいおいアップするとして、本日はお知らせの拡散です。
F医大平成3年卒の方向けの情報です。まだ大学でがんばっているK林先生から、下記のお知らせ。できるだけ知り合いに拡散しますっていったけど、とりあえずこのブログでおしらせ(って見ているひといるのかな)。

(以下、引用)
ところで同級生の音田さん覚えてますか?
下記のようなメールが来ました。
もし都内にいらっしゃるのであればいかがでしょうか。
私は多分不参加だと思うのですが。
音田さんは去年のお盆も郡山市でセッティングしてくれたのですが、連絡が間際過ぎて5人ぐらいで飲んだそうです。
よかったら是非。

今日メールしたのは、また同期で集まって会食をという話です。
日時は8月18日土曜日20時から
京王プラザホテルを予定しています。
ぜひご検討ください。
もし可能ならば医大の方々にも拡散いただければ幸いです。
(引用終了)

夏休みももうすぐだけど、今年はウチの子どもたちと嫁さんは、一時避難の暖かい支援のお世話になって、関西方面で過ごす予定。
関西、暑そうだなー

あけましておめでとうございます [日々是思考]

あけまして おめでとう ございます。

震災・津波・原発事故で明け暮れた2011年がやっと終わって新年。
心機一転と行きたいところだけど、原発がらみではまだこれからが本番という感じだね。
いろいろ山岳部関係の方から年賀状頂きましたが、一番ぐっときた年賀状を(勝手に)紹介してみる。例によって、K野先生の年賀状。

『病院は被災で半壊。放射能汚染された吾妻、安達太良、阿武隈の山々ですが、さらに愛着がまし時間のあいている時は山に足を運びました。10月には52才の今年、こつこつと身体と気力の現状維持をめざします。』

これからも福島で生きて、福島の山を愛していく覚悟を感じましたね。

人生は多分自分で考えている以上に短く感じるもの。今回の震災・原発事故、それに身近な年下の知人たちが病魔に冒された昨年には、明日、いや今日何が起こるかわからないことを実感した日々。震災・原発事故以降、生き方・考え方を変えよう、変えざるを得ないと思っていたが、具体的な考えはまとまっていなかった。
新年にあたり少し考えをまとめてみた。

1.自分の頭で考える。権威をむやみにありがたがらない。
2.いまこの瞬間を味わい尽くして生きる。完全燃焼で。
3.つねに山登りをしているがごとく、緊張感を持っていきる。

箇条書きで思いつくまま書いてみた。
まずは、放射能とどう向き合うか自分で判断し決断しなければならない。子供が小さければこれは切実。それ以外にも、惰性で流されるようにやってきたことが、本当に自分の貴重な人生の時間を費やしてまでやる必要があるか吟味すること。

2は、いまこの瞬間を生きると言うこと。
Do not dwell in the past,
Do not dream of the future,
Concentrate the mind on the present moment.
(過去にとらわれるな、未来を夢見るな、現在の、この瞬間に集中しろ)

これは誰の言葉(教え)でしょう?
実は、ブッダ。
今を生きると言うのは簡単だけど、どうしても人間は過去と未来にとらわれるもの。
過ぎた過去を後悔し、まだ来ぬ未来の心配をする。過去と未来に脳内のメモリを占拠されれば、現在を味わい尽くして生きるのは不可能だ。そこで
Concentrate the mind on the present moment.
なかなか難しいけど、この瞬間に完全燃焼するように生きることが、この不確実な日々を十全に生きる上で重要だと思う。

結局、3の様に山登りをしているがごとく生きるってことかな。
辛い登りでも、晴れた気持ちのいい稜線でも気を抜くことはないし、その時その時を味わって登っているからね。

厳しく予想もしなかった時代に、山登りの経験が生きるというのも嬉しくもあり、辛くもあるけれど、覚悟を持って歩んでいこうと思ったところです。

今年もよろしくお願いします。
タグ:雑感 山岳部

感染症勉強会 [雑記]

今日は感染対策委員会の院内勉強会。なんとワタクシが講師。
「ノロウイルスによる感染性胃腸炎について」の演題で。
何とかスライドをまとめて本日発表。スライドは、医局で使っているマックで作ってみた。マック用のオフィスソフト、エクセル、ワード、パワーポイントが入って15K円以下で買えた。ほんと安いね。マックで作って、WINで映して発表。特に問題はなかったね。

なんとこのタイミングで地元のビューホテルでノロウイルスによる集団食中毒発生したと本日の朝刊。あしたはそのホテルで、地元F高の同窓会総会が開かれる予定。義父が参加予定だけどどうなるのかな?
ウチの業界でも、薬屋さん後援の研究会もそのホテルが多いしね。大丈夫か?

(あんまり更新しないとブログに広告がでるから、久々にアップしたけどね)

震災以降(3) 居着くこと [雑記]

甲野善紀さんや内田樹さんによると、武術において「居着くこと」はもっとも避けなければならないことらしい。真剣勝負においてからだや心が何かにこだわりそこに居着くと、とたんに動きが鈍くなり、それが文字通り命取りになるようだ。武術では、いかに居着くことを避けるか、すなわち執着心を捨て去るかが肝要であるようだ。それは勝負に勝つという執着も含めて。

真剣勝負の命のやりとりに限らず、今回のような原発災害も含む震災でも居着きの少ない人の方が生き延びるチャンスが多かったのではないか。
この場合の「居着き」とは、普段ならポジティブに考えられているようなこだわり、自分の財産、価値観なども含めてのことだ。
どうしても福島市に住んでいると原発のことが主になるが、何の「居着き」もない人のほうが一目散に原発からひたすら遠くに離れているように思える。どうしても、自分の職場とか、子供の学校のこと、持っている家や財産などなどに執着する、すなわち居着いてしまうと、そうはいかない。結果として、こういう「居着き」の少ない個体の方が生き延びるチャンスは多いのだろう。

日本で活躍する数学者兼タレントのピーター・フランクルさんの父親は、ナチスによるジェノサイトを生き延びたユダヤ人の皮膚科医だったそうだ。その父親がピーターに、「自分の頭のなかのモノ以外なにも持って逃げることはできない」と常々語って聞かせていたそうだ。
本当にだいじなモノ、それはいわゆる「物」ではなく、自分と不可分でありポータブルなモノ、コトであり、それらさえあれば何物にもとらわれることなく、いつでもどこでも前向きに生きていける。それが「居着き」の少ない人生のおくり方なのだろう。

震災以前の我々の生活の中に溢れていたさまざまなモノなり価値観、今後はそれらに過度に居着かないように生きていく。ほんとうに大事なモノ・コトは、ポータブルな形で自分のなかに昇華しておく。
こういうコトに気付いたことが、今回の震災で得られた数少ない教訓のひとつだ。

震災以降(2) [雑記]

前回のエントリで、世界が変わって見えてきたと書いたがそれについて少し考えてみた。
よく大病をした人や九死に一生を得た人などが、がらっと人生観が変わるというが、そういう人たちは人生の実存に触れたのではないか。いつもはオブラートに包まれている人生の、隠された実相のザラッとした手触り。今回の震災および現在進行形の原発事故をとおして、たしかにこの手触りを感じたような気がした。そしてその感覚はまだ生々しく残っている。
内田樹によれば村上春樹作品のテーマのひとつは、理不尽で意味のない暴力にさらされる個人の生き方だが、今回の震災でも、圧倒的な力でもって蹂躙される個人の運命の儚さに慄然とした。家を建てて、子供を育てて、夏休みぐらいは旅行に行こう、なんとなく自分も平均寿命ぐらいまでは生きるんじゃないかと思いながら、小さな夢をおって過ごす毎日。そういう日々から、突然、震災とりわけここ福島では日々の放射能の恐怖にさらされる毎日に変わってしまった。
「100ミリシーベルトまでは安全です」とオウムのように繰り返す某アドバイザー学者から、「もうすぐ○号機が爆発する。すぐ逃げろ」と煽る安全地帯にいる人まで、さまざまな情報ともいえない不確かな言葉の海の中から、自分の信じられる「言葉」を探し出して、とりあえず自分の家族を守ろうと必死になる毎日。今、福島の多くの子供のいる家庭ではこういう毎日を否応もなく過ごしている(全く気にしていないように見える人々もいるが、おそらくそうした情報を意図的に遮断しているのではないか)。
野尻さんという著名な物理学者のブログのタイトルはこうだ。
「油断するなここは戦場だ」。今まさにその気分!

※この項もうすこし続きます。いまの気持ちを書き残すために。

震災以降 [雑記]

3月11日以降の、震災そして原発事故からなんとなく世界が変わって見える。
下のエントリに書いた山岳部のOB会も遠い過去の事のように思える。また、最近でもTVでスポーツ中継やら、(滅多に見ないが)ドラマやバラエティなど、ちらっと見ただけでも、まるで別の世界のことのように違和感を覚える。

原発から立ち上る煙をTVで見た時、圧倒的に巨大な力が自分と周囲を踏みつぶしていくような恐怖感に襲われた。そして、絶望的な無力感。あの時は、文字通り「世界の終わりが始まった」と感じた。今現在、そこまで原発事故は悪化はしていないが、ただ静止状態をなんとか保っているだけで、安定しているとは到底言い難い状況が続いている。
いままで、ライフハックだの自己啓発など、言ってみればちょっとヒトより効率的に人生を歩もうとする小細工的なテクニックに関心があったのだが、震災以降全くそういう関心が消失している。圧倒的に巨大な力の前ではそれらはホント、何ほどのモノではないからだ。
そういう事態に遭遇することはないだろうと無意識に思っていたのかもしれないが、実はそういうことが起こりえるのが人生なのだと最近は思う。その時本当に守りたい、大事にしたいと思えることが、自分の人生にとって死活的に重要なことであって、それ以外は実はどうでもいいことなのだ。

TVでは震災前と同じ芸人が同じようなお笑いでバラエティ番組をやっている。震災前はくだらないとは思ってもそう目くじらは立てなかったが、今では世界が変わった事が理解できないかわいそうな連中としか思えなくなった。
スポーツも、確かにすごい技術の応酬なのだろうが、たとえば野球など所詮は人間が決めたルールの中だけでのことで、自然の猛威と科学技術の暴走のなれの果てを目撃してしまった今ではあまり心に響かない。ただし、甲野善紀さんのような武術家は別だ。甲野さんのツイッターでのつぶやきは深く心に響く。彼も原発事故を憂慮しているが、そういう限界状況になった時にどう対応すべきか、これが武術の探求に通じるという。

ツイッターの話が出たが、現時点では信頼できる人(これを見つけるのにもリテラシーが必要だが)の、つぶやきをfollowすることで大分精神的な安定が得られている。
詳しくはまたそのうちということで。
とりあえず、今の気持ちを、不完全ながら書いて、ブログまた再開しました。

'11山岳部OB会 [山岳部]

今年も奥土湯・川上温泉で「山岳部若手OB会」が開催。
今年はこのメンバー。例年と比べると若干少なめか。
もっと若手もOB会やっているそうなので、我々は山岳部「中年」OB会みたいですw

11山岳部.jpg

ボーリングと新年会 [休日]

本日は住んでいる地区の子供会のボーリング大会。
ウチも一家で参加。3歳児はうまくボールを投げられないので、補助具を使って投球。
ガーターもないし、まっすぐ転がっていくので結構いい感じ。ハンデもいっぱいもらっているので、なんと下の子は準優勝。10年ぶりにやったという義父も健闘して大人の部3位。コッチも10年ぶりくらいだけと、スコアは全然だったな。





その後は地区の新年会。準優勝におだったのか、下の子、ソファで大はしゃぎ!





はしゃぎすぎで、ソファから落ちちゃいましたw。
最初は泣いてたけど、ビデオ見せたら笑ってたよ。




自分とは言葉である [雑記]

本日は当直明け。夕べの当直はそれほど忙しくはなかったけど、やはり明けはそれなりに疲れるもの。
戻って子供の世話。本日も下の子を連れて、バスで公園へ。

話しは変わるけど、最近のツイッターってホントに心にしみ入る名言も多いモノ。
中森明夫さんて、失礼ながらちょっと面白いアイドル評論家のヒトってイメージしかなかったけど、この方のつぶやきは深いです。
(以下引用)

「自分とは自分の言葉でできている。自分を変えようと思ったら自分の言葉を変えることだ。「さようなら」は「また会おう」に「駄目だ」は「明日がある」に「最悪」は「あとはよくなるだけさ」に。それだけで目の前の世界が変わる。自分を変えることは世界を変えることだ。」

「自分自身を自分の親友だと思うこと。そんなふうに自分を励ませばいい。一度、自分を他人として見る。欠点はいっぱいある。でも、そんなに悪い奴じゃない。何よりいつも自分のそばいてくれる。あなたは決して一人じゃない。自分という親友にやさしくしてやりなさい。」

「自分を変える魔法の言葉。「ない」と語尾につく言葉をやめる。言い換える。「わからない」は「調べよう」に、「つまんない」は「これから面白くなる」に、「できない」は「まずやってみよう」に。それで自分が変わる。世界が変わる。」

「中森明夫・著『アナーキー・イン・ザ・JP』刊行! 公式ツイッターです。HPナシ、ブログ経験ゼロ、パソコンすら持っていない中森さんが、ついにネットデビュー! 携帯からの参戦です。」だそうです。冬休み、読んでみようかな。

からくり人形 [休日]

本日は子供連れで、こむこむへ。
「世界のからくりミュージアム」へ。なかなか精巧に出来ていて子供たちもビックリ。大人が見ていても飽きなかったな。







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